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明石の定演の、立ち上げを振り返ってみる企画。
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明
石高専吹奏楽部の定期演奏会は、2002年の"実質第0回"(吹奏楽部・グリークラブ 合同演奏会)、翌2003年の「第1回
定期演奏会」に始まり、今年(2007年)で第5回(実質6回目)を迎えました。…ということで、明石の定演の歴史を振り返ってみることにしましょう。 |
定期演奏会に対する、関西6高専と明石の事情 明石が定期演奏会を立ち上げたのは、2002年〜2003年頃のことです。その当時、関西6高専吹奏楽部の多く(府立・神戸・奈良・舞鶴)は、7月下旬 〜8月上旬に定期演奏会を行い、その演奏会を以て5年生の引退と幹部の引継ぎを行っていました。また和歌山も、やはり11月頃に5年生の引退演奏会を兼ね た定期演奏会を行っており、「関西6高専のうち定期演奏会を行っていないのは明石だけ」という状況が、長く続いていました。 それまで(2000年頃)の明石高専は、@現役部員・OBともに人数が少ないために、単独で演奏会を開くことが難しく、A学内行事(学生会主催)の「文化 発表会」が毎年7月の第1土曜日に行われており、スケジュール調整が難しかった、……などの事情から、定期演奏会を開くまでは至らず、また5年生の引退演 奏会は学内行事の文化発表会としていました。 |
「第0回」定期演奏会の立ち上げ 2002 年、大きな転機が訪れます。1つは、経験者を含む新入部員が多く(10名以上も)入部したことです。これにより、部員数が約25名になるとともに演奏技術 の底上げが図られ、「吹奏楽部の単独でも演奏会を創れるのではないか?」という機運とポテンシャルが高まりました。もう1つ、それまで5年生の引退演奏会 としても位置づけていた文化発表会が、学校側の事情により7月から1月に移動することになりました。このことは、(編入試験や卒業研究、合演などとの兼ね 合いから)5年生の引退演奏会の機会が事実上失われたことになるため、引退演奏会の機会を文化発表会以外にも求める必要がありました。 そこで、当時の部長でグリークラブと兼部していた宮西(E00/当時3年)が、「グリークラブと合同で演奏会を行う!」という企画を実行しました。これが 「吹奏楽部・グリークラブ 合同演奏会」で、事実上の「第0回」定期演奏会となるものです。この企画が決まったのが2002年4月頃、その本番は2002年8月18日と、非常に短い 準備期間の中で行いました。演奏会は、グリークラブと吹奏楽部がそれぞれ30分強で1ステージづつ、計2ステージ・約1時間半の演奏会でした。 | 0thパンフの表紙 |
「定期演奏会」のはじまり さ て、その 「第0回」定期演奏会に向けて準備を進めている途中の、2002年7月。やはり当時の部長の宮西(E00/当時3年)が「来年からは(吹奏楽部単独で)定 期演奏会をやる!できる!」という目標?を宣言をしました(当時の筆者は、どちらかというと消極姿勢でした)。そこで、第0回の結果を待つまでもなく翌年 のためにホールを申し込み(*1)、2003年8月2日に「第1回定期演奏会」を開くことが決まりました。 その1年後。宮西の期待と予想通り、経験者を含む大勢の1年生の入部や、レベルアップした2年生〜4年生に恵まれ、無事に「第1回定期演奏会」を開催する ことができました(*2)。Pops-Symphonic-Symphonicの3ステージ構成で、いろいろなコンセプト(*3)を盛り込みながら、明 石らしい「アホなことこそ、おおまじめに」やる演奏会を、開催することができました。 (*1)明石市内のホール(アワーズ・西部とも)は、「使用日の1年前の、その月の1日から、先着順(重複時は抽選)」で申し込みをします。第0回が(明石 市の吹奏楽の夕べと重なっても)2002年8月18日だったのは、空きがその日しかなかった…とか、第1回が(神戸とかぶっても)2003年8月2日だっ たことも、抽選で…という消極的な理由も、実はなくもありません。 (*2)この年は、初めてコンクールに参加した年でもあります。 (*3)そのコンセプトは、また機会を改めて。 | 1stパンフの表紙 |
定期演奏会のその後 明 石高専吹奏楽部の定期演奏会は、おおまかに言えば、「明石高専の近くにある明石市立西部市民会館で、13:30開場/14:00開演で行う、3部構成の演 奏会」として、年を重ねるごとに定着しつつあります。……とはいえ、各世代がいろいろな模索を図りつつ現在に至っており、毎年少しづつコンセプトや構成が 変化している、「明石らしい」演奏会でもあります。 たとえば、こんなところ: ・開催時期: 10月中旬(2nd)や8月下旬(3rd〜)へ。 ・5年生の引退時期: 4年生の合演で引退し、5年生は裏方や途中参加へ(2nd〜)。 ・3部構成: その曲構成の変化。 ・アンコール: 1曲で、popsを(2nd〜)。 ・定期演奏会の英語表記: "Subscription Concert"(*4)(1, 2, 3, 4thのポスター)から"Regular Concert"(4thの当日パンフ、5thの予告webページ)へ ・パンフの印刷: 表紙がカラーの印刷物(1-3rd)から輪転機印刷(0th, 4th)へ こういったあたりは、「定期演奏会は、各世代が考える演奏会へのコンセプトを表現する場」として、流動的であっていいと思うし、また過去にとらわれず自分たちのコンセプトを出していけばいいのではないかと、思っています。 (*4) なぜ"Subscription Concert"にしたのか……一般には「大フィルの定期がSubscriptionだから」という説が有力ですが、それ以上に、「単に『定期的に開催す る(Regular)』演奏会」ではなく、『お客さんにとっても"恒例"であるような(Subscription; 若干意訳あり)』演奏会でありたい」という思いが込められています。 | 2ndパンフの表紙 (3rdのはいま手元にないんだ。スマソ) |
定期演奏会を取り巻く環境 現 役部員の考える演奏会へのコンセプトだけでなく、明石高専吹奏楽部や明石高専を取り巻く環境も、定期演奏会に対していろいろな影響を与えてくるでしょう。 たとえば、今年(2007年)の大きな変化として、明石高専も大学ライクな夏休み期間(*5)を取り入れました。そうすると、昔のように7月下旬〜8 月上旬に定演を行うよりも、8月下旬に行う方がよく理に適う話でしょう。また、明石高専は(関西でも、全国的にも)進学指向が強いと言われており、編入試 験との兼ね合いが、5年生の引退時期や演奏会の開催時期にも影響しています。 とはいえ、前述のような明石の定演の「大枠」は、おそらく当面の間は変わらないでしょうし、年を重ねていくごとに、定期演奏会が部活にも、学校にも、地域にも、「恒例の」行事として定着していくことでしょう。 それを見守る側---OB/OG---としては、その年度・世代ごとの変化や特徴に注目しつつ、今後の発展に期待をしています。 (*5) 従来、筆者が現役の頃の夏休みは、7月第3週〜8月一杯でした。しかし2007年度からは、大学のように8・9月一杯が夏休みになりました。 | 4thのパンフの表紙・ポスター |
そして、今年は第5回。 2007年、今年で明石高専吹奏楽部の定期演奏会も5回目を迎えます。最初期の第0, 1回を知るメンバーが少なくなり、力強い1, 2年生を主力に、3, 4, 5年生が引っ張るという、フレッシュなバンドが創られています(…たぶん)。今年は、8月25日の土曜日。単に定期的に開催する演奏会ではなく、「お客さんにとっても"恒例"であるような」演奏会。前に来たことがあるなら、やっぱり今年も。来たことがなくても、今年から。みんなで西部市民会館へ! リンク: 現役のページの5th定演のページ |
謝辞 筆 者は、第0回の指揮者, 第1回の部長・指揮者として定期演奏会の立ち上げに参加しました。当時の部員と、それを支持してくださった保護者のみなさま、そして先輩方のアイデアと行 動力があってこそ、定期演奏会が立ち上がり、動き始めました。ここに深く感謝申し上げます。また、府立, 神戸, 奈良, 舞鶴, 和歌山, 岐阜の各高専吹奏楽部のみなさまから、資料・楽器・楽譜などの融通を受けて演奏会の実施に至りました。改めて感謝いたします。演奏会の実施にあたっては、 明石市立西部市民会館・大阪共立・明石高専学生課学生係・明石高専技術教育支援センター・明石高専吹奏楽部の顧問教官のみなさまによる、温かい指導により 無事に開催することができました。深く感謝申し上げます。 |
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